〝好きこそ物の上手なれ〟を人生で初めて体験した瞬間とは?
小学1年生の夏休み、私はお袋(母)に連れられて近所の公民館へ。
その目的は〝とある習い事の体験会〟に参加するためです。
特に何に参加するのかもわからずとりあえずについて行ったわけですが、公民館に着くと、教室にはおじいちゃんが何人もいました・・・
平均すると、おおよそ65歳くらいでしょうか?
『おいおい、こんなおじいちゃんが集まって何が始まるんだよ・・・』
〝期待〟よりは、〝不安〟の方が大きかったのを覚えています。
一人のおじいちゃんに誘導され席に着くと、そこには黒と白の石、そして縦横無尽に線が引かれた木製の盤が置いてありました。
そうです、私が連れて来られた場所は『囲碁教室』でした!
そもそも〝囲碁〟という言葉すら知らなかった私は、本当に未知との遭遇・・・
そんな印象だったと記憶しています。
囲碁の歴史は古く、囲碁から生まれた言葉もたくさんあります。
[box class=”yellow_box”]- 一目置く
- 白黒つける
- 駄目(ダメ)
- 布石を打つ
- 死活(問題)
私は『駄目(ダメ)』という言葉以外は、全て囲碁の専門用語として知りました。
後になって、それぞれの言葉の〝日常的に使われる意味〟を知ったくらいです!
囲碁がわからない人のために、少しだけルールを説明しますね♪
囲碁は、一言で説明すると『石を使った陣取りゲーム』です。
先手(黒石)、後手(白石)の2人が、それぞれ石を交互に打ちながら陣地を取っていき、最後にその陣地が多かった方の勝ちとなります。
習い始めてみると意外と面白く、気が付いたら完全にハマっていました!
夏休みは、毎日のように教室が開かれていたので休まず通い続けました。
初日は賑わっていた教室も、日を追うごとに一人、また一人と参加する子供達の人数が減っていきました・・・
私はというと、毎日通った甲斐もあって少しずつ対局できるようになります。
囲碁は最初のルールを覚えるのが大変なので、ある程度上手に対局ができるまでが長いのですが、試合ができるようになってからさらに楽しくなりました♪
運営をしていた先生によると、参加人数が思っていたよりも多かったため、夏休み終了後も小学校の放課後のクラブ活動として継続することになったそうです。
私が通っていた小学校で、毎週月曜日の放課後に〝囲碁クラブ〟が開催されることに!
個人的に喜んだのは束の間、いざ月曜日の放課後に囲碁クラブに行ってみると、全く人が集まりません・・・笑
みんなわざわざ放課後の時間を削ってまで囲碁なんてやりたくないですからね。
家でお菓子食べながらゲームしてた方がよっぽど楽しいでしょうから仕方ありません。
その結果、私も含めて毎回数人しか来ない小さな小さなクラブとなってしまいました。
私にとってはこれが逆に良かったのですが、人数が少ないおかげで、毎週先生とマンツーマンで囲碁をさせる環境となりました!
やはり、先生に直接指導してもらえるというのはありがたいですよね♪
ちなみに、小学校を卒業してから知ったのですが、この先生は当時、県内の大会で優勝するほどの腕の持ち主だったようです。
月曜日に囲碁クラブがあり、翌週までの1週間、先生から出された課題にしっかり取り組み、それを踏まえて対局する。
こんなことを毎週毎週続けていると、短期間でかなり実力がついた気がしました。(数人の中なので完全に井の中の蛙なのですが・・・笑)
そして、囲碁を始めてから9ヶ月が経った小学2年生の6月に人生初めての〝大会〟に出場することに!
その大会は、茨城の県庁所在地がある水戸で行われ、県内の各市町村の小学生が集まる大会でした。
低学年の部、高学年の部とカテゴリーが分かれているようで、どんな相手と試合ができるのかとてもワクワクしていたのを覚えています。
大会当日、あまりの緊張に朝食が喉を通らなかったことを覚えています・・・
先生と、クラブの仲間と数人と共に、電車で1時間揺られ水戸に。
会場に着くと受付を済ませ、各カテゴリーの大会が行われる部屋へ向かいます。
私は小学2年生でしたので、当たり前ですが『低学年の部』と書かれた部屋に入ろうとしました。
すると、先生が『あ、あじ君は高学年の部だからこっちの部屋ね!』と意味不明なことを言い出したのです。
『ついにボケ始めたか?』
なんて心の中でツッコミながらも、何かの間違いだと思いながらも高学年の部の大会が行われる部屋へ。
すると、名簿にも対戦表にもしっかりと私の名前が書いてあったのです・・・
『えへへっ。高学年の部の大会でエントリーしちゃった!笑』
と、先生はテヘペロ的な表情をしていました。
そして、なんと初戦の相手は小学6年生・・・
『うわ〜・・・6年生とか絶対勝てるわけないじゃん!』
先生に半ばキレ気味に不満をぶつけると、それでも先生は笑みを浮かべていました・・・
いざ対局が始まってみると、圧倒的な差をつけて勝ってしまったのです。
そして、その勢いのまま決勝戦へ。
参加していた人たちの多くが見守る中、最後の戦いでも勝利し、なんと優勝してしまいました・・・
先生は、わざと高学年の部でエントリーしたのだと数年後に気がつきましたが、あの先生の余裕は『君なら大丈夫!』という表情だったのかもしれません!
この優勝がキッカケになり、囲碁が楽しすぎてどっぷりハマってしまいました。
家から帰れば囲碁、テレビゲームも囲碁、月曜日は夕方まで先生と囲碁、本当にあの時は囲碁一色の生活でした♪
そんな生活でしたので、もちろん小学3年生になった翌年も県内に敵はおらず、圧倒的な差で優勝しました。
小学4年生からは、月曜日のクラブ活動には通っていたものの、土日は野球の大会とかぶることが多く、それ以降大会には参加できませんでした。
そして、囲碁と本気で向き合う生活はある日突然やってきます。
それは、『ヒカルの碁』というマンガ(アニメ)の流行によるものでした。
いつもたった数人で活動していた囲碁クラブに、突如何十人もの児童が教室に押し寄せてしまったのです・・・
もちろん先生も一人で教室を運営することもできず、ずっとクラブ活動を続けてきた私と仲間数人も先生役となり、日々初心者の児童たちに教えていました。
臨時の先生も何人か呼び、道具も揃え、なんとか頑張って運営していたのを覚えています。
そんな状況が何ヶ月も続くと、私とその仲間は囲碁がさせないことに対してつまらなくなってしまい、いつしかクラブ活動には行かなくなってしまいました。
このようんな感じで、その時以来囲碁は全くさしていません。
ですので、もうほとんど忘れてしまっています。
またいつか再開したいと思っていますが、やりたいことリストとしての優先順位が低いのでいつになるかわかりません。
しかし、おじいちゃんになった時には、周りのおじいちゃん達と囲碁が楽しめるように、また一から勉強したいと思っています♪
優勝した時は、本当にめちゃめちゃ嬉しかったなぁ〜♪