私が常に〝頭〟を使って考えながら行動するようになったきっかけ
あなたは、『こいつには絶対に勝てない!』と思う人に出会ったことがありますか?
私にはそういう人がいるのですが、そいつは本当に最強でした!笑
今回は、私が何事も戦略的に物事を考えたり、常に思考を止めずに行動するようになったきっかけを紹介していきます!
私は小学3年生の時に野球を始めたのですが、同じ学年のチームメイトはたった5人しかいませんでした。
その一人に、私が人生で初めて〝かけっこ〟で負けた、K君がいたのです。
K君は、おじいちゃんもお父さんも身長が大きく、保護者が集まる場所では、一瞬でK君の家の人だと遠目でもわかるくらいです!笑
そのため、もちろんK君も身長が高く、小学3年生当時で小学6年生と並んでもそんなに差はありませんでした。
さらには、お父さんは野球経験者で、家には田舎ならではの手作りのマウンドや、バッティング練習用のネットまでありました♪
(野球経験者の人は想像できると思います!)
そんなK君は、小学校3年生から上の学年の試合に出るような存在で、パワーやスピード、技術どれを取っても群を抜いています。
他校のチームの指導者からは、高学年の選手だと間違われるくらいです!笑
ですので、チームメイトである私からすれば、めちゃめちゃ心強い存在でした。
しかし、同時に『アイツにどうしても勝ちたい!』とライバル心を燃やしていました!
小学6年生になると、K君の身長は170cmを超え、投げる球も120km/時くらいは普通に出ていたと思います。
K君の球をとるのが嫌で、キャッチャーの子が少年団に来なくなってしまったくらい速かったです・・・
弱いチームとの試合では完全試合が当たり前、K君が投げる球に当てられるのは、市内でも数人しかいませんでした。
K君のおかげ、私たちはそこそこ強いチームとなり、様々な大きな大会を経験することができました!
今はあるかわかりませんが、当時体力テストの一種目として『ソフトボール投げ』という種目がありました。
K君が投げると、学校のグラウンドの尺が全然足りず、いつも学校の外へ消えていきました。笑
私が小学6年生当時(2002年)、市内のソフトボール投げの記録は70mというとんでもない記録でした。
この記録を作った方は、プロ野球選手として一軍でバリバリのレギュラーで現在も活躍中です。(この方もまじヤバかった笑)
しかし、K君はこの記録をらくらく更新してしまい、市から表彰されていました!笑
もちろん、市内や県内の一部地域では、このK君の名前を知らない人はいませんでした。
こんな大エースがいるチームでキャプテンとして一緒に戦っていた私は、こんな思いが常にありました。
『このチームはK君だけと思われたくない!』
もちろん、K君以外にも上手な選手はいました。
しかしK君はエースで4番、投げればとんでもないストレート、打てばグランドの端まで軽々打球が飛んでいくという超スーパースターがチーム内にいるわけです。
いつまでもおんぶに抱っこではいけないと、私はK君に勝てる部分を探すようになりました。
チーム内の競争は時として良い方向に向かいますが、私の場合は、K君がいたことで自分では到底到達できないレベルの野球選手になれたと思っています。
まず、自分の得意とする武器は何なのか?
自分がチームに色を与えるとしたら、どういう要素なのか?
当時の足りない脳みそから一生懸命絞り出した答えが『足』でした。
小学6年生の私なりに目標を立て、毎日坂ダッシュや走るのに必要なトレーニングを完全独学で行いました。
その甲斐あってか、学年でダントツのスピードを手にいれました。
そして、その足を活かすために『左打ち』に変えました。(左打者の方が右打者より一塁に近いため、足が速い選手は有利に働く。)
このように、どうすれば今よりよくなるのか?
K君の存在あったからこそ、常に考えて練習するようになりました。
また、『勝てない場所では戦わない』というのも、この時に得た教訓です。
どの世界においても、どうしても順位をつけられてしまうことは多々あります。
私は争いごとがとても苦手なので、できれば譲ってあげたいことの方が多いのですが、どうしても上位に立たないといけない場面も出てきます。
例えば、仕事のマーケティングなんかがそうですね!
違うお店や企業のサービスより、自分たちが優れていたり、目立っていたり、多くの人に認知されていないと利益をあげることはできません。
ですので、少なからず人間が人生を歩む上で、適切な競争というのは避けて通れないわけです。
私にとって、こういった時に生きる経験が、K君と一緒に野球をした7年間で得た教訓なのです!
ちなみにこのK君、中学では、全く専門的に練習していない走り高跳びで関東大会などに出るなど、県の陸上の強化選手にまでなっていました笑
高校では、肩や肘を怪我してピッチャーはできなくなってしまいましたが、それでも野手として、そんなに強くない高校をかなり上位まで押し上げる原動力になっていました。
やはり彼は天才です!笑