野球部を引退後、全てが〝無〟になった状態から進学を決意するまで
私は、高校3年生の7月に野球人生を引退しました!
小学3年生から始めたので、約10年間白球を全力で追いかけたことになります。
家計が苦しい中、野球を最後まで続けせてくれた親にはとても感謝しています。
高校で野球は辞めると決めていましたが、いざ引退してみると本当に何もかもが〝無〟となってしまいました。(これには大きな理由があります!)
『あぁ〜これから何しよう・・・』という途方に暮れる思いや、『野球もうできないんだなぁ〜』という寂しさ、『あんなに辛い練習しなくて良いんだぁ〜』という安堵感、それぞれあったと記憶しています。
私が通っていた高校は、地元(通える範囲)ではそこそこ頭の良い『自称進学校?』みたいな立ち位置で、夏休み頃から完全に受験モードになります。
ですので、修学旅行やその他の行事すらほとんどない学校です。(つまらな過ぎて高校3年間の思い出は本当に一つもありません!)
そんな雰囲気の中、何の目標もない自分がクラスに存在すると周りの人の迷惑になってしまうと思い、部活引退後は自然と学校から足が遠ざかるようになってしまいました。
夏休みになり、クラスのみんなが受験勉強のために学校に通う中、私は山奥にある(リアルポツンと一軒家)親の実家でのんびりしていました。
ケータイ電話の電波も入らないので、お昼は川魚を釣りに行ったり、暑い日は一日中畳に寝そべったり・・・
そして秋になると進路相談が始まります・・・
当時の私の成績は、テストだと学年で後ろから5位以内の常連さん、通知表だとオール2!
なぜなら、現役時代は野球の練習で疲れてしまい、授業は全て寝てしまっていたからです・・・(←これが私が栄養学の道に進むきっかけになったのかもしれません!)
起きていた授業といえば、体育、美術、家庭科の調理実習くらいです。
こんな感じの高校生活でしたので、もちろん行ける大学は1つもありません。
最初の進路相談(親を含めた3者面談)は拒否した記憶があります。
親にも進路相談があることは言っていませんでした。
久しぶりに学校に登校した日の掃除の時間に、『就職したいと思っているんですが・・・』と担任の先生に伝えた記憶があります。
ではなぜ、そこから大学進学を決めて、さらにはミスター赤点だった私が大学に進学できたのでしょうか?
私には、5つ上の兄がいます。
小さい頃はよくパシリにされていました!笑
怖くて逆らうこともできないような兄でした・・・
そんな兄から『お前は大学行けば?』と言われたんです。
私の通っていた高校は、進学率が100%でしたので『就職したいと思っているですが・・・』と、先生に相談した時も『うちの高校で就職した人は、確かここ4,5年いないよ!』と言われました。
まぁ当たり前ですよね・・・ 学校側としても〝進学率100%〟を学校の謳い文句にしている以上、就職を勧めるは簡単なことではありません。
4,5年前は就職した人が一人いたということでしたが、その人物こそ私の兄だったんです・・・笑(これにもめちゃめちゃ色々な理由があります!)
私が高校3年の時、既に社会人5年目だった兄は、社会に揉まれて様々な経験をしていたと思います。
おそらく同級生のみんなが楽しいキャンパスライフを送る中、時に理不尽な思いをしながら働いていたことでしょう。
社会人の大変さをよく聞かされていました。
そんな経験からか、私に『大学に行け!』と言ったのだと思います!(これは私の推測で、真実は知りません。)
『今の日本の社会の仕組みにおいては、高卒よりも4年制の大学に進学しておいた方が、色々と社会人になった時の選択肢の幅が広がりやすい!』
そんな感じで言われたと記憶しています。
普段は特に素っ気ない感じの兄ですが、この会話をしていた時に熱量を感じたので『兄貴がそこまで言うんだったらオレは進学しようかな・・・』
こうして、進学することを視野に入れ始めました。
しかし・・・時は既に10月下旬、大学に入れる学力はほぼ0、推薦入学なんて夢のまた夢のまた夢すぎて、オリエンタルランド作れちゃうレベル♪笑
センター試験は約2ヶ月半後の1月・・・さて、どうなるあじ青年。
お前に進学できる大学はあるのか・・・? ←いや絶対ないだろ笑